最近始めたこと
実は最近、あのカーブスに行き始めました。
あまり大きな声では言えませんが、私は運動があまり好きではありません。
やれば気持ちよいのは分かっているのですが、進んで体を動かすことは殆どありません。
前の職場にジムが出来た時も体験に行ったりしたのですが、雰囲気になじめず入会には至りませんでした。
そんな私も最近、年齢を重ねたせいか体力不足を感じはじめ、これは何らかの対策を取らないといけないかも、と思い始めました。
ちょうどその頃、60代半ばを過ぎたうちの母が「70、80になっても山に登りたい!」と言ってカーブスに行き始めたのです。
最初は私も半信半疑で様子を伺っていたのですが、母がみるみる痩せていき元気になる姿を見て「カーブス凄い!」と思うようになりました。
日々、お客様に体を動かすことの大切さをお伝えしている手前、このまま自分は何もやらずに衰えていくというわけにはいかないので、試しに体験に行ってみました。
もともと仕事がら、筋肉についての知識がないわけではありませんので、やってみると面白い!
普段はお客様の体を通して触れてきた筋肉を自分で意識することがこんなに面白いものなのか、と多分他の方とはかなり違う切り口で楽しむことが出来ました。
運動嫌いの自分がこんなに興味深く筋トレをできるなんて、大発見です。
以前、「マツコの知らない世界」という番組にボディビルダーの女性が出演していた時「筋トレはバカじゃできない」というようなことを仰っていたのですが、その意味が少し分かったような気がしました。
今の私は、どの筋肉がどのようについていて、どのように働くかを知っています。
なので、筋トレしてる時もしっかりイメージしたり感じることが出来るので、マシンをある程度正確に使えるのではないかと思うのです。
そして、カーブスはもともと効率を考えられたプログラムになっているので、インターバルの管理などは自分でしなくても良いようになっています。
こういうところも凄いところで、自分で筋トレするならインターバルを考えて、プログラミングしなければいけないところを、30秒ずつただマシンをぐるぐる回っているだけで、うまい具合に筋肉が付きやすいように考えられているのです。
カーブス、恐るべし!!
まだ始めたばかりなので、効果がどんなものなのかは分かりませんが、今の目標は冷え性の解消!
そして、筋肉が付けば代謝も良くなるのでお肌もきれいになるかも?
内臓の働きも良くなるから、胃腸が弱いのも少しは良くなるかな?
妄想は、膨らむばかりです。
皆さん、これからバージョンアップ予定の私を楽しみにしていてくださいね!!
あまり大きな声では言えませんが、私は運動があまり好きではありません。
やれば気持ちよいのは分かっているのですが、進んで体を動かすことは殆どありません。
前の職場にジムが出来た時も体験に行ったりしたのですが、雰囲気になじめず入会には至りませんでした。
そんな私も最近、年齢を重ねたせいか体力不足を感じはじめ、これは何らかの対策を取らないといけないかも、と思い始めました。
ちょうどその頃、60代半ばを過ぎたうちの母が「70、80になっても山に登りたい!」と言ってカーブスに行き始めたのです。
最初は私も半信半疑で様子を伺っていたのですが、母がみるみる痩せていき元気になる姿を見て「カーブス凄い!」と思うようになりました。
日々、お客様に体を動かすことの大切さをお伝えしている手前、このまま自分は何もやらずに衰えていくというわけにはいかないので、試しに体験に行ってみました。
もともと仕事がら、筋肉についての知識がないわけではありませんので、やってみると面白い!
普段はお客様の体を通して触れてきた筋肉を自分で意識することがこんなに面白いものなのか、と多分他の方とはかなり違う切り口で楽しむことが出来ました。
運動嫌いの自分がこんなに興味深く筋トレをできるなんて、大発見です。
以前、「マツコの知らない世界」という番組にボディビルダーの女性が出演していた時「筋トレはバカじゃできない」というようなことを仰っていたのですが、その意味が少し分かったような気がしました。
今の私は、どの筋肉がどのようについていて、どのように働くかを知っています。
なので、筋トレしてる時もしっかりイメージしたり感じることが出来るので、マシンをある程度正確に使えるのではないかと思うのです。
そして、カーブスはもともと効率を考えられたプログラムになっているので、インターバルの管理などは自分でしなくても良いようになっています。
こういうところも凄いところで、自分で筋トレするならインターバルを考えて、プログラミングしなければいけないところを、30秒ずつただマシンをぐるぐる回っているだけで、うまい具合に筋肉が付きやすいように考えられているのです。
カーブス、恐るべし!!
まだ始めたばかりなので、効果がどんなものなのかは分かりませんが、今の目標は冷え性の解消!
そして、筋肉が付けば代謝も良くなるのでお肌もきれいになるかも?
内臓の働きも良くなるから、胃腸が弱いのも少しは良くなるかな?
妄想は、膨らむばかりです。
皆さん、これからバージョンアップ予定の私を楽しみにしていてくださいね!!
ぶーちゃんのこと
私がぶーちゃんに出会ったのはこの仕事を始める前、前の職場でした。
ぶーちゃんは、じゃらんのCMキャラクターのにゃらん(初代)に似たネコ。
初めて会ったとき、ぶーちゃんは車の上で寝ていました。
何気なくその姿をカメラに収め、表情を見るとなんとなく険しい。
写真を撮らせてもらったお礼を言ってその場を離れようとしたのですが、何か気になってお礼にご飯をあげることにしました。(その時、キャットフードを持っていたのか、買いに行ったのかは覚えていません)
ご飯を容器に入れて差し出してみたのですが、口からよだれをいっぱい出して食べたいけど食べられない様子。
「歯がないのかも?」と思い、お湯でふやかしてみました。
まだ、食べにくそうにはしていましたが、ゆっくりとでも嬉しそうに食べてくれました。
よく見ると、身体はやせ細って力もなく毛もパサパサで風が吹いたら倒れてしまいそうです。これは、どこか悪いに違いないと思い、病院に連れて行きました。猫白血病とネコエイズでした。免疫力が低下し口内炎がたくさんできて、自己治癒力ではどうにもならない状態だったので、注射や薬を使って落ち着くまで面倒を見ていました。
とても賢く聞き分けの良いネコで、病院に行っても噛んだり引っ掻いたりすることもなく我慢強く治療を受けていました。
朝と夜ご飯を食べに来るので、その時に薬を飲ませ顔を拭いてやったり少し遊んであげたりしているうちに、だんだん元気になってきました。
そして、ある時から来なくなってしまいました。とても心配でしたが、口内炎も治っていたのでふやかしたご飯じゃなくても食べられるし、もう大丈夫なんだと自分に言い聞かせ、あきらめることにしました。
それでも毎日ぶーちゃんのお気に入りの場所を見て、帰って来ていないか確認し続け、半年以上たった頃ふいにぶーちゃんは戻ってきました。
口内炎の調子が悪くなったのです。
また病院に行き薬を与え、以前のように世話をしました。
ちょっと元気になると、可愛い雌猫のお尻を追いかけ楽しそうに走り回っていました。
何日か来ないこともありましたが、近くにいるらしく時々道で出会いました。
外で会った時に「ぶーちゃん!」と声をかけると、チラ見して「外では声を掛けんな!」とでも言いたげに小走りで行ってしまいます。
「生意気な!」とは思いつつ元気な証拠と嬉しくなりました。
そんな日々が1ヵ月ほど続いたある日、久しぶりに帰ってきたぶーちゃんがまた、よだれを流していたので病院に連れて行くと、ぶーちゃんの胸に聴診器を当てた先生が「前からこんな呼吸してた?」と聞きました。
確かに時々変な呼吸をしてたかも…。
先生は「すぐに手術するから!!」と言って大慌てで準備をはじめ、あっという間に手術が始まりました。
そして、1~2時間だったと思いますが途方もない待ち時間に感じられた待ち時間を一人で待合室で過ごし、先生の奥さんが呼びに来てくださった時はもう、ぶーちゃんの息はありませんでした。
とてもよく晴れた春のように温かいバレンタインデーの午後でした。
ぶーちゃんの呼吸音が時々おかしいことには気づいていたのですから、もっと早く先生に言っていれば助かったかもしれないのに…
後悔してもしきれませんでした。
百箇日まで数えて、それ以上数えるのは止めました。
ぶーちゃんが、私に教えてくれたことに気づいたからです。
ぶーちゃんは、どんなに具合が悪くてもじっとそれを受け入れていました。
私がお世話をするようになってからは調子のよいときも増え、調子の良いときはとても楽しそうに近くを散歩したり、女の子のお尻を追いかけたり生きることを精いっぱい満喫していたように見えました。
良いときも悪いときも、ただそれを受け入れ一生懸命に命を全うした一生だったのではないでしょうか。
その頃の私は人生に対して前向きになれず、今後どのように生きていけばよいのかも決めかねている状態でしたが、ぶーちゃんの生き様を見せてもらってからは、もっと自分の命を全うしなければと思うようになり、前々からやってみたいと思っていたセラピストの道を選ぶことになりました。
なので今の私があるのは、ぶーちゃんのおかげなのです。
天国のぶーちゃん、ありがとう。
ちなみに、ぶーちゃんを火葬するときに「またいつか、うちの猫としておいで」と声をかけてからお別れしたのですが、その半年後にオスの子ネコを拾うこととなり、今ではぶーちゃんの生まれ変わりとして毎日一緒に暮らしています。
ぶーちゃんは、じゃらんのCMキャラクターのにゃらん(初代)に似たネコ。
初めて会ったとき、ぶーちゃんは車の上で寝ていました。
何気なくその姿をカメラに収め、表情を見るとなんとなく険しい。
写真を撮らせてもらったお礼を言ってその場を離れようとしたのですが、何か気になってお礼にご飯をあげることにしました。(その時、キャットフードを持っていたのか、買いに行ったのかは覚えていません)
ご飯を容器に入れて差し出してみたのですが、口からよだれをいっぱい出して食べたいけど食べられない様子。
「歯がないのかも?」と思い、お湯でふやかしてみました。
まだ、食べにくそうにはしていましたが、ゆっくりとでも嬉しそうに食べてくれました。
よく見ると、身体はやせ細って力もなく毛もパサパサで風が吹いたら倒れてしまいそうです。これは、どこか悪いに違いないと思い、病院に連れて行きました。猫白血病とネコエイズでした。免疫力が低下し口内炎がたくさんできて、自己治癒力ではどうにもならない状態だったので、注射や薬を使って落ち着くまで面倒を見ていました。
とても賢く聞き分けの良いネコで、病院に行っても噛んだり引っ掻いたりすることもなく我慢強く治療を受けていました。
朝と夜ご飯を食べに来るので、その時に薬を飲ませ顔を拭いてやったり少し遊んであげたりしているうちに、だんだん元気になってきました。
そして、ある時から来なくなってしまいました。とても心配でしたが、口内炎も治っていたのでふやかしたご飯じゃなくても食べられるし、もう大丈夫なんだと自分に言い聞かせ、あきらめることにしました。
それでも毎日ぶーちゃんのお気に入りの場所を見て、帰って来ていないか確認し続け、半年以上たった頃ふいにぶーちゃんは戻ってきました。
口内炎の調子が悪くなったのです。
また病院に行き薬を与え、以前のように世話をしました。
ちょっと元気になると、可愛い雌猫のお尻を追いかけ楽しそうに走り回っていました。
何日か来ないこともありましたが、近くにいるらしく時々道で出会いました。
外で会った時に「ぶーちゃん!」と声をかけると、チラ見して「外では声を掛けんな!」とでも言いたげに小走りで行ってしまいます。
「生意気な!」とは思いつつ元気な証拠と嬉しくなりました。
そんな日々が1ヵ月ほど続いたある日、久しぶりに帰ってきたぶーちゃんがまた、よだれを流していたので病院に連れて行くと、ぶーちゃんの胸に聴診器を当てた先生が「前からこんな呼吸してた?」と聞きました。
確かに時々変な呼吸をしてたかも…。
先生は「すぐに手術するから!!」と言って大慌てで準備をはじめ、あっという間に手術が始まりました。
そして、1~2時間だったと思いますが途方もない待ち時間に感じられた待ち時間を一人で待合室で過ごし、先生の奥さんが呼びに来てくださった時はもう、ぶーちゃんの息はありませんでした。
とてもよく晴れた春のように温かいバレンタインデーの午後でした。
ぶーちゃんの呼吸音が時々おかしいことには気づいていたのですから、もっと早く先生に言っていれば助かったかもしれないのに…
後悔してもしきれませんでした。
百箇日まで数えて、それ以上数えるのは止めました。
ぶーちゃんが、私に教えてくれたことに気づいたからです。
ぶーちゃんは、どんなに具合が悪くてもじっとそれを受け入れていました。
私がお世話をするようになってからは調子のよいときも増え、調子の良いときはとても楽しそうに近くを散歩したり、女の子のお尻を追いかけたり生きることを精いっぱい満喫していたように見えました。
良いときも悪いときも、ただそれを受け入れ一生懸命に命を全うした一生だったのではないでしょうか。
その頃の私は人生に対して前向きになれず、今後どのように生きていけばよいのかも決めかねている状態でしたが、ぶーちゃんの生き様を見せてもらってからは、もっと自分の命を全うしなければと思うようになり、前々からやってみたいと思っていたセラピストの道を選ぶことになりました。
なので今の私があるのは、ぶーちゃんのおかげなのです。
天国のぶーちゃん、ありがとう。
ちなみに、ぶーちゃんを火葬するときに「またいつか、うちの猫としておいで」と声をかけてからお別れしたのですが、その半年後にオスの子ネコを拾うこととなり、今ではぶーちゃんの生まれ変わりとして毎日一緒に暮らしています。
神様貯金
先週は全くネタが浮かばず、更新を休んでしまいました。
スミマセンでした。。。
さて、タイトル「神様貯金」とは何のことでしょう?
例えば、初詣などで神社にお参りするとき、お願い事をする人が多いのではないかと思います。
私も、年に一度のことなので何かしらお願いします。
でもある時、自分がお願いした内容と投げたお賽銭の金額を照らし合わせた時「お願いしたことの対価にしては、安すぎるな」と思いました。
かといって、バブル時代の社長さんのように1万円札を何枚も投入することも出来ません。
そこで考えたのが、神様貯金。
「何かをして欲しいなら、まず自分から。」
昔、誰かに言われました。
神様にお願いを聞いてもらう前に、自ら善い行いをしよう!
そして、貯金が溜まったらお願いを聞いてもらえないかなぁ?という姑息な考えです。
自分がどれほどの善行を行っているのかは分かりませんが、車の神様には喜ばれている気がします。
私は、右折できず困ることがほとんどありません。
「ここは、誰でも無理でしょ~」というような交差点でも、かなりの確率で通過できます。
これはもう神の力に違いない、と確信しております。
そのかわり、右折車を見かけた時は出来るだけ行かせてあげるよう心がけています。
善行、と言ってもこの程度のことです。
ものすごく大きな良いことをしているわけではないのですが、自分が気づける範囲で誰かに優しく出来たりしたときは「神様貯金」が出来たと思っています。
それでも時々、本当に奇跡としか思えないような出来事に遭遇することがあります。
あまり自慢できませんが、予約で失敗してしまい絶体絶命!!!という時も、あり得ないような偶然の積み重ねの末、最良の結果を得てしまったことがあります。誰にも迷惑をかけず、自分にとっても一番良い。そんなこと、神様しかできないと思うんです。
私はどこの神様も信仰していない無宗教者ですが、強いて言うなら自分の神様をこの上なく信じています。
ちょっとイライラしていて、優しくなれない時も「神様貯金」を思い出すと、少しだけ余裕が出来ます。少しだけですけど。。。。
と、ここまで書いて「神様貯金」は本当に私のオリジナルなのか心配になりましたので、検索してみます。
ハッ!!!
1300年も前から四国の神様が提唱していらしたようです。。。
びっくりしました。
内容もほぼ同じ感じです。
飛鳥時代から連綿と続く霊能一族の末裔で、スピリチュアルカウンセラーの真印(まいん)さん、という方の『魂のヴィジョン』という本に書かれているそうです。
私は、その本は拝読していませんが、どこかでその内容を聞いたか読んだかしたのかもしれませんね。
そういう事って、ありますね。
悪意はないけど、自分よりも先に自分と同じ考えをどなたかが発表されていた、ということ。
確認は大切ですね。
でも、大事なのは伝えたい内容を大切に伝えられているか、ということで誰が先にとか自分のオリジナルかとか、私としてはそういう事はどうでもいいと思ってるのですが。。。
スミマセンでした。。。
さて、タイトル「神様貯金」とは何のことでしょう?
例えば、初詣などで神社にお参りするとき、お願い事をする人が多いのではないかと思います。
私も、年に一度のことなので何かしらお願いします。
でもある時、自分がお願いした内容と投げたお賽銭の金額を照らし合わせた時「お願いしたことの対価にしては、安すぎるな」と思いました。
かといって、バブル時代の社長さんのように1万円札を何枚も投入することも出来ません。
そこで考えたのが、神様貯金。
「何かをして欲しいなら、まず自分から。」
昔、誰かに言われました。
神様にお願いを聞いてもらう前に、自ら善い行いをしよう!
そして、貯金が溜まったらお願いを聞いてもらえないかなぁ?という姑息な考えです。
自分がどれほどの善行を行っているのかは分かりませんが、車の神様には喜ばれている気がします。
私は、右折できず困ることがほとんどありません。
「ここは、誰でも無理でしょ~」というような交差点でも、かなりの確率で通過できます。
これはもう神の力に違いない、と確信しております。
そのかわり、右折車を見かけた時は出来るだけ行かせてあげるよう心がけています。
善行、と言ってもこの程度のことです。
ものすごく大きな良いことをしているわけではないのですが、自分が気づける範囲で誰かに優しく出来たりしたときは「神様貯金」が出来たと思っています。
それでも時々、本当に奇跡としか思えないような出来事に遭遇することがあります。
あまり自慢できませんが、予約で失敗してしまい絶体絶命!!!という時も、あり得ないような偶然の積み重ねの末、最良の結果を得てしまったことがあります。誰にも迷惑をかけず、自分にとっても一番良い。そんなこと、神様しかできないと思うんです。
私はどこの神様も信仰していない無宗教者ですが、強いて言うなら自分の神様をこの上なく信じています。
ちょっとイライラしていて、優しくなれない時も「神様貯金」を思い出すと、少しだけ余裕が出来ます。少しだけですけど。。。。
と、ここまで書いて「神様貯金」は本当に私のオリジナルなのか心配になりましたので、検索してみます。
ハッ!!!
1300年も前から四国の神様が提唱していらしたようです。。。
びっくりしました。
内容もほぼ同じ感じです。
飛鳥時代から連綿と続く霊能一族の末裔で、スピリチュアルカウンセラーの真印(まいん)さん、という方の『魂のヴィジョン』という本に書かれているそうです。
私は、その本は拝読していませんが、どこかでその内容を聞いたか読んだかしたのかもしれませんね。
そういう事って、ありますね。
悪意はないけど、自分よりも先に自分と同じ考えをどなたかが発表されていた、ということ。
確認は大切ですね。
でも、大事なのは伝えたい内容を大切に伝えられているか、ということで誰が先にとか自分のオリジナルかとか、私としてはそういう事はどうでもいいと思ってるのですが。。。
くせのこと
最近、無性に人恋しく誰かとしゃべりたくて仕方がありません。
秋だからでしょうか?天気のせいでしょうか?それとも、一人で過ごす時間が長いせいでしょうか?
このままでは、セラピストなのに精神的引きこもりになってしまいそうです。。。
そんな中、ほぼ毎日、星野源さんの曲を聞くことで何とか自分を保っておりまして、もう、彼は心の恋人状態です。
どの曲も大好きなのですが、聞いていて、つい引っかかってしまう歌詞があります。
「くせのうた」という曲の一番最後、「君の癖は何ですか?」という歌詞です。
なくて七癖、と昔から言うように覚えがなくても7個くらいは癖はあるものらしいです。
わたしは、自分で思いつくような癖はあまりないのですが、後輩から言われたことが1つだけありまして、それを思い出すのです。
真顔で冗談いうの止めた方がいいですよ!
みんな、冗談だと思ってませんから。
↑これです。
確かに、きつい冗談に限って真顔で言うことが多いかも。。。
それも、あまり私という人に慣れていない人に言ったら怖がらせてしまうので、ある程度、仲良くなってからの「真顔で冗談」です。
でも、冗談だと思っていない相手は「仲良くなれたのに、何でそんなひどいこと言うの?」と、なるようなのです。
後輩に言われるまで、気づきませんでした。
だって、冗談じゃなきゃ人に言わないようなことしか言ってないつもりなんです。
つまり、それを冗談として受け止めてもらっていなかったとしたら、人間関係大惨事ということになります。
結果、自分ではよく分からない人間関係大惨事→炎上です。
私の軽い冗談がそんなことになっていたとは、全く気付いていませんでした。青天の霹靂くらいの勢いで驚きました。
どうりで、仲良くなったころに嫌われるわけです。
これからは真顔で冗談を言わないよう気を付けようと思っていますが、何十年も真顔で冗談を言い続けているので自信がありません。
なにしろ、冗談のつもりなので無意識に口から出てしまうものですから…
いや、それでもとにかく気を付けます!!
むしろ、冗談を言わない真っ当な人間になります。
みなさんも、真顔で酷いことを言っている私を見かけたら気にせず、止めてください!!
なんか、セラピストとは思えない記事ですが、お客様に対して真顔で冗談を言うことはありませんので安心してください。
プライベートの私とパブリックな私のギャップがちょっとあるだけですよ。
秋だからでしょうか?天気のせいでしょうか?それとも、一人で過ごす時間が長いせいでしょうか?
このままでは、セラピストなのに精神的引きこもりになってしまいそうです。。。
そんな中、ほぼ毎日、星野源さんの曲を聞くことで何とか自分を保っておりまして、もう、彼は心の恋人状態です。
どの曲も大好きなのですが、聞いていて、つい引っかかってしまう歌詞があります。
「くせのうた」という曲の一番最後、「君の癖は何ですか?」という歌詞です。
なくて七癖、と昔から言うように覚えがなくても7個くらいは癖はあるものらしいです。
わたしは、自分で思いつくような癖はあまりないのですが、後輩から言われたことが1つだけありまして、それを思い出すのです。
真顔で冗談いうの止めた方がいいですよ!
みんな、冗談だと思ってませんから。
↑これです。
確かに、きつい冗談に限って真顔で言うことが多いかも。。。
それも、あまり私という人に慣れていない人に言ったら怖がらせてしまうので、ある程度、仲良くなってからの「真顔で冗談」です。
でも、冗談だと思っていない相手は「仲良くなれたのに、何でそんなひどいこと言うの?」と、なるようなのです。
後輩に言われるまで、気づきませんでした。
だって、冗談じゃなきゃ人に言わないようなことしか言ってないつもりなんです。
つまり、それを冗談として受け止めてもらっていなかったとしたら、人間関係大惨事ということになります。
結果、自分ではよく分からない人間関係大惨事→炎上です。
私の軽い冗談がそんなことになっていたとは、全く気付いていませんでした。青天の霹靂くらいの勢いで驚きました。
どうりで、仲良くなったころに嫌われるわけです。
これからは真顔で冗談を言わないよう気を付けようと思っていますが、何十年も真顔で冗談を言い続けているので自信がありません。
なにしろ、冗談のつもりなので無意識に口から出てしまうものですから…
いや、それでもとにかく気を付けます!!
むしろ、冗談を言わない真っ当な人間になります。
みなさんも、真顔で酷いことを言っている私を見かけたら気にせず、止めてください!!
なんか、セラピストとは思えない記事ですが、お客様に対して真顔で冗談を言うことはありませんので安心してください。
プライベートの私とパブリックな私のギャップがちょっとあるだけですよ。
東京で思ったこと
先週はお盆休みをいただき、ブログ更新もつい、お休みしてしまいました。。。すみません。
さて、先週のお盆休みは10年以上ぶりに東京にライブに行ってまいりました。
静岡県に戻って(しばらく仙台市に住んでいました)からは初めてで、東京のライブも初めて。ひとりで、ウキウキしながら武道館へ!
めったに東京には行きませんが、東京に行っていつも思うのは意外と木や自然が多いんだなぁ、ということ。
武道館は皇居の一角のようで、周りには千鳥ヶ淵があります。グッズ購入のためにだいぶ早く着いたので、近くのベンチで一休みしているとスズメちゃんが私の足元に飛んできて「ねぇ、なんか食べ物ちょうだい?」と言わんばかりに首をかしげます。それも、静岡のスズメでは考えられないほどの距離感で。都会のスズメはたくましいですね。
残念ながら食べ物は持っていなかったので、その旨を伝えると「あ、そっ!!」と、今度は隣のベンチの方を覗き込んでいました。
きっと、このベンチに座ってお昼を食べるサラリーマンさんが、いつもお裾分けしているのでしょうね。
だんだん、辺りが暗くなり始めるとコウモリが2匹どこからともなく飛んできました。
ちなみに、私の家にはアブラコウモリという、とても小さなコウモリが住んでいますが、千鳥ヶ淵のコウモリはもう少し大きくて羽が少しだけ透けている感じでした。
淵には少し前まで満開だったであろう蓮の葉が一面に青々と茂っていて、ここはベトナムか?と呟いてしまいました。
桜の木もたくさんあるし。
わたしは、自分自身がのんびりしているので都会には馴染めませんが、東京のこんな景色は凄く素敵だと思います。
テレビで見る東京は、オシャレなお店がいっぱいで、お金がかかって、人がみんなイライラしてそうなイメージですが、そればかりではなかったみたいです。
でも、私は武道館の周りを見てこの景色を心の景色として切り取りましたが、ほかの人は反対側のビルがたくさん並んでいる景色を切り取るかもしれないですよね。同じ場所でも、その人が何が好きでどんな感性を持っているかで、きっと捉え方は全然違います。
そう考えたら、東京のように出身地や出身国が違う人ばかりが集まっているところだと、みんなバックボーンが違うので一つのことを共有するのも一苦労なんでしょうね。地方の、地元出身者ばっかりが集まっている地域の繋がりが強いのは当たり前のことなのかもしれないなぁ…
なんて、都会で一人考えてしまいました。
さて、先週のお盆休みは10年以上ぶりに東京にライブに行ってまいりました。
静岡県に戻って(しばらく仙台市に住んでいました)からは初めてで、東京のライブも初めて。ひとりで、ウキウキしながら武道館へ!
めったに東京には行きませんが、東京に行っていつも思うのは意外と木や自然が多いんだなぁ、ということ。
武道館は皇居の一角のようで、周りには千鳥ヶ淵があります。グッズ購入のためにだいぶ早く着いたので、近くのベンチで一休みしているとスズメちゃんが私の足元に飛んできて「ねぇ、なんか食べ物ちょうだい?」と言わんばかりに首をかしげます。それも、静岡のスズメでは考えられないほどの距離感で。都会のスズメはたくましいですね。
残念ながら食べ物は持っていなかったので、その旨を伝えると「あ、そっ!!」と、今度は隣のベンチの方を覗き込んでいました。
きっと、このベンチに座ってお昼を食べるサラリーマンさんが、いつもお裾分けしているのでしょうね。
だんだん、辺りが暗くなり始めるとコウモリが2匹どこからともなく飛んできました。
ちなみに、私の家にはアブラコウモリという、とても小さなコウモリが住んでいますが、千鳥ヶ淵のコウモリはもう少し大きくて羽が少しだけ透けている感じでした。
淵には少し前まで満開だったであろう蓮の葉が一面に青々と茂っていて、ここはベトナムか?と呟いてしまいました。
桜の木もたくさんあるし。
わたしは、自分自身がのんびりしているので都会には馴染めませんが、東京のこんな景色は凄く素敵だと思います。
テレビで見る東京は、オシャレなお店がいっぱいで、お金がかかって、人がみんなイライラしてそうなイメージですが、そればかりではなかったみたいです。
でも、私は武道館の周りを見てこの景色を心の景色として切り取りましたが、ほかの人は反対側のビルがたくさん並んでいる景色を切り取るかもしれないですよね。同じ場所でも、その人が何が好きでどんな感性を持っているかで、きっと捉え方は全然違います。
そう考えたら、東京のように出身地や出身国が違う人ばかりが集まっているところだと、みんなバックボーンが違うので一つのことを共有するのも一苦労なんでしょうね。地方の、地元出身者ばっかりが集まっている地域の繋がりが強いのは当たり前のことなのかもしれないなぁ…
なんて、都会で一人考えてしまいました。
水たまりの原理
突然ですが、自分が嫌だと思っていたり苦手だと思っていることからは逃れられないと感じたことはありますか?
たとえば学生の時に苦手だった勉強をその時はスルー出来たとしても、結局、社会人になってからその勉強が必要になりやらざるを得ない状況になってしまった。とか、不得意な仕事をなんとか他の人にやってもらっていたけど、自分が責任者になってしまった。とか…
しかも、はじめにスルーした時よりも若干、面倒になっていて「こんな事なら、あの時ちゃんとやっておけば良かった」という、おまけが付いてきたりして。
人生に関わるような大きなことから、おやつの大小程度のことまで、いろいろあるのではないでしょうか?
これは私の持論なのですが「嫌なことには少しだけ近づく」ということ。
これを「水たまりの原理」と呼んでいます。
雨の日に外を歩いていると、自分の横を通り過ぎる車が水たまりの上を走るたびに水をかけていきますよね。すごく腹が立ちます。
そこで、水たまりを少し避けてみます。すると、もっといい感じに水を被ってしまうのです。小さな水たまりなら、水しぶきも小さいので少し避ければ大丈夫ですが、水たまりが大きい程しぶきが大きいので、少しくらい避けてもかえってたくさんかぶってしまう事があります。今度は、少しだけ水たまりに近づいてみます。ちょっと車道に近づいた歩行者を見た車は「危険」と判断して私と水たまりを避けて走ります。
結果、水しぶきを被ることはありません。
雨の日に歩きながらそんなことを考えていたら、嫌なことも同じなんじゃないかと思ったのです。
嫌なことをどんなに避けても無駄で、逆にそのことに近づいた方が解決の糸口を見つけられるのではないでしょうか?
でも、あまり近づきすぎて水たまりに入ってしまっては本末転倒なので、少し近づいて様子を伺ってみるのです。
自分が水たまりに近づいたことで、全くの第三者である車の動きを変えることが出来る。本来だったら、エスパーでもない限りは車の動きは操作できるものでは無いはずです。でも、自分が違う行動をとったことによって、周りも違う行動に変わるかもしれません。
この水たまりでの出来事に何か可能性を感じませんか?
私自身、この原理を発見したのは、もうずいぶん前の事なのですが、使いこなすのはなかなか難しく、未だに嫌なことから逃げてしまうことも少なくありません。
ただ以前と違うのは、一度は軽く逃げるのですがその後自分のできる範囲でジワジワ近づくように心がけるようになったことです。
それだけでも前に進んでいる自分を褒めてあげる理由にはなると思うので…
たとえば学生の時に苦手だった勉強をその時はスルー出来たとしても、結局、社会人になってからその勉強が必要になりやらざるを得ない状況になってしまった。とか、不得意な仕事をなんとか他の人にやってもらっていたけど、自分が責任者になってしまった。とか…
しかも、はじめにスルーした時よりも若干、面倒になっていて「こんな事なら、あの時ちゃんとやっておけば良かった」という、おまけが付いてきたりして。
人生に関わるような大きなことから、おやつの大小程度のことまで、いろいろあるのではないでしょうか?
これは私の持論なのですが「嫌なことには少しだけ近づく」ということ。
これを「水たまりの原理」と呼んでいます。
雨の日に外を歩いていると、自分の横を通り過ぎる車が水たまりの上を走るたびに水をかけていきますよね。すごく腹が立ちます。
そこで、水たまりを少し避けてみます。すると、もっといい感じに水を被ってしまうのです。小さな水たまりなら、水しぶきも小さいので少し避ければ大丈夫ですが、水たまりが大きい程しぶきが大きいので、少しくらい避けてもかえってたくさんかぶってしまう事があります。今度は、少しだけ水たまりに近づいてみます。ちょっと車道に近づいた歩行者を見た車は「危険」と判断して私と水たまりを避けて走ります。
結果、水しぶきを被ることはありません。
雨の日に歩きながらそんなことを考えていたら、嫌なことも同じなんじゃないかと思ったのです。
嫌なことをどんなに避けても無駄で、逆にそのことに近づいた方が解決の糸口を見つけられるのではないでしょうか?
でも、あまり近づきすぎて水たまりに入ってしまっては本末転倒なので、少し近づいて様子を伺ってみるのです。
自分が水たまりに近づいたことで、全くの第三者である車の動きを変えることが出来る。本来だったら、エスパーでもない限りは車の動きは操作できるものでは無いはずです。でも、自分が違う行動をとったことによって、周りも違う行動に変わるかもしれません。
この水たまりでの出来事に何か可能性を感じませんか?
私自身、この原理を発見したのは、もうずいぶん前の事なのですが、使いこなすのはなかなか難しく、未だに嫌なことから逃げてしまうことも少なくありません。
ただ以前と違うのは、一度は軽く逃げるのですがその後自分のできる範囲でジワジワ近づくように心がけるようになったことです。
それだけでも前に進んでいる自分を褒めてあげる理由にはなると思うので…
cahoってどんなお店?
cahoさんって、どんなお店ですか?
と、聞かれることが時々あります。
そんな時は、体のお疲れを緩めることで心と身体を癒します。
と答えるのですが、実際その答えで納得してくれる方は殆どなく、「へ~」とか「ふ~ん」とは言ってくださいますが頭の上には?マークが3つ4つポワ~ンと浮かんでいます。
自分でも、もう少し分かりやすい説明の仕方はないものかと考えてはいるのですが、なかなか明確な説明が思いつきません。
なので、少し捕捉してみようと思いこの記事を書くことにしました。
以前「病は気から」という記事にも書きましたが私は、身体の不調=心の不調と考えています。
つまり、体調不良はどこからか降って湧いてきたものではなく、その方の考え方や生き方が心の不調となり症状となって表れたものだと思うのです。
例えば、以前から時々腰のあたりがピキッとなる感じはあったけどピキッとなるだけで何ともないし、それよりも仕事が忙しいから放っておいたらぎっくり腰になった。という人がいたとします。
この方は、責任感のある真面目な方で少しくらいなら自分を犠牲にしてでも、お仕事を円滑に進めたいと考える方なのかもしれません。
そして、痛み止めを飲んでしばらく安静にしていると痛みの原因となる炎症が治まり痛みは取れるのでぎっくり腰は治ります。
しかし以前と同じように、お仕事に対する責任感のため自分を少しずつ犠牲にして生活を続けていたら、きっとまた同じことを繰り返すことになるでしょう。
でも、それで良いのでしょうか?
凝りとか痛いという症状が現れたということは、身体からの改善命令が出たということです。
この段階で何らかの方法で改善しないと、その症状は第二段階=病気やケガに進行しかねません。
私は治療家ではないので「治す」ことはできませんが、お客様ご自身に現状を理解していただき、改善策を一緒に考えるということはできます。
施術をしながらいろいろとお話を伺い、ぎっくり腰になってしまった本当の原因は何だたのか?同じことを繰り返さないためにどうしたらよいのか?ということを私ではなく、お客様ご自身に答えを出していただくために、自分を振り返る作業のお手伝いをしたいと思ってます。
施術を受け気持ちよくてリラックスすることも癒しですが、自分を振り返る、という作業も実は自分の癒しにつながるのです。
そして、そういう事も含めて、心と身体を癒すということだと考えています。
来店されるすべての方にその作業が必要だとは思いませんが、必要とされている方には出来るだけお手伝いさせていただきたいと思います。
これを、一言で表すことができたら、もう少し皆さんにcahoのことを分かってもらえるかなぁ…?
と、聞かれることが時々あります。
そんな時は、体のお疲れを緩めることで心と身体を癒します。
と答えるのですが、実際その答えで納得してくれる方は殆どなく、「へ~」とか「ふ~ん」とは言ってくださいますが頭の上には?マークが3つ4つポワ~ンと浮かんでいます。
自分でも、もう少し分かりやすい説明の仕方はないものかと考えてはいるのですが、なかなか明確な説明が思いつきません。
なので、少し捕捉してみようと思いこの記事を書くことにしました。
以前「病は気から」という記事にも書きましたが私は、身体の不調=心の不調と考えています。
つまり、体調不良はどこからか降って湧いてきたものではなく、その方の考え方や生き方が心の不調となり症状となって表れたものだと思うのです。
例えば、以前から時々腰のあたりがピキッとなる感じはあったけどピキッとなるだけで何ともないし、それよりも仕事が忙しいから放っておいたらぎっくり腰になった。という人がいたとします。
この方は、責任感のある真面目な方で少しくらいなら自分を犠牲にしてでも、お仕事を円滑に進めたいと考える方なのかもしれません。
そして、痛み止めを飲んでしばらく安静にしていると痛みの原因となる炎症が治まり痛みは取れるのでぎっくり腰は治ります。
しかし以前と同じように、お仕事に対する責任感のため自分を少しずつ犠牲にして生活を続けていたら、きっとまた同じことを繰り返すことになるでしょう。
でも、それで良いのでしょうか?
凝りとか痛いという症状が現れたということは、身体からの改善命令が出たということです。
この段階で何らかの方法で改善しないと、その症状は第二段階=病気やケガに進行しかねません。
私は治療家ではないので「治す」ことはできませんが、お客様ご自身に現状を理解していただき、改善策を一緒に考えるということはできます。
施術をしながらいろいろとお話を伺い、ぎっくり腰になってしまった本当の原因は何だたのか?同じことを繰り返さないためにどうしたらよいのか?ということを私ではなく、お客様ご自身に答えを出していただくために、自分を振り返る作業のお手伝いをしたいと思ってます。
施術を受け気持ちよくてリラックスすることも癒しですが、自分を振り返る、という作業も実は自分の癒しにつながるのです。
そして、そういう事も含めて、心と身体を癒すということだと考えています。
来店されるすべての方にその作業が必要だとは思いませんが、必要とされている方には出来るだけお手伝いさせていただきたいと思います。
これを、一言で表すことができたら、もう少し皆さんにcahoのことを分かってもらえるかなぁ…?
ひとり美術館
私の趣味のお話です。
私にはあまり趣味らしい趣味はありませんが時々楽しむのが、ひとりで行く美術館です。
一人っ子のせいか、誰かそばにいてほしいと思っている反面、人がいると落ち着かないところもあって自分でも一人が好きなのか嫌いなのかよく分かりません。
ただ、美術館に行くときだけは一人がいいのです。
一人で行けば、見たい作品を観たいだけだけ観ることが出来ます。
美術館に展示されている作品は全て素晴らしい作品だと思いますが、全て私の好みに合うかと言われると私には理解しにくい作品もあります。誰かと一緒だと、自分には理解しにくい作品をその人は鑑賞したいかもしれない、と思ってしまうので一人なら遠目に見て素通りしてしまうところを一応足を止めることになります。
相手の方がそれを観たいのかは分からないのですが、一応念のため…
そんな風に考えていると相手の方も自分と同じように、あまり関心のない作品も私のためにお付き合いで足を止めてくれているのではないだろうか?と思い始めます。
すると、今度は自分がじっくり鑑賞したい作品を好きなだけ見ることが出来なくなります。
そうこうしているうちに、ぐるっと一周観終わり何故か精神的に疲れている、という経験を何度かして美術館は一人で行くものなのだという結論に至りました。
一人で鑑賞するにあたって会話する相手がいないので常に耳が暇な状態になり、周りにいる方たちの会話がつい耳に入ってきてしまいます。
近くに人がいると落ち着かないという自分の性質もあって、周囲の会話が耳に入らないほどの集中力を発揮することはできません。
そこで、私のひとり美術館に欠かせないのがイヤホンです。
自分の好みで集めた音楽を聴きながら、自分の好きな作品をじっくりと鑑賞できる。このシチュエーションこそが私の求めるものである、ということに気づいたのはつい数年前でしたが、気づいてからは増々ひとり美術館が楽しくなりました。
自分の好きな作品のBGMが自分の好きな音楽だったら、そこはもう私の世界です!!
申し訳ないのですが作者の方の意向は全く無視です。
一年近く前にIZU PHOTO MUSEUMで観た小島一郎さんという写真家のBGMはニルヴァーナでした。津軽の厳しい冬の景色にニルヴァーナの激しく切ない楽曲はピッタリです。(と私は思っています)
…あっ、つい激しく個人的な趣味の話を文章にしてしまいました。
小島一郎さんの写真集は、いつでもcahoに置いてあります。ニルヴァーナのBGMも一緒に体感したい方は是非お声がけください。すぐに、ご用意いたします!!かなり、マニアックですけど…
私にはあまり趣味らしい趣味はありませんが時々楽しむのが、ひとりで行く美術館です。
一人っ子のせいか、誰かそばにいてほしいと思っている反面、人がいると落ち着かないところもあって自分でも一人が好きなのか嫌いなのかよく分かりません。
ただ、美術館に行くときだけは一人がいいのです。
一人で行けば、見たい作品を観たいだけだけ観ることが出来ます。
美術館に展示されている作品は全て素晴らしい作品だと思いますが、全て私の好みに合うかと言われると私には理解しにくい作品もあります。誰かと一緒だと、自分には理解しにくい作品をその人は鑑賞したいかもしれない、と思ってしまうので一人なら遠目に見て素通りしてしまうところを一応足を止めることになります。
相手の方がそれを観たいのかは分からないのですが、一応念のため…
そんな風に考えていると相手の方も自分と同じように、あまり関心のない作品も私のためにお付き合いで足を止めてくれているのではないだろうか?と思い始めます。
すると、今度は自分がじっくり鑑賞したい作品を好きなだけ見ることが出来なくなります。
そうこうしているうちに、ぐるっと一周観終わり何故か精神的に疲れている、という経験を何度かして美術館は一人で行くものなのだという結論に至りました。
一人で鑑賞するにあたって会話する相手がいないので常に耳が暇な状態になり、周りにいる方たちの会話がつい耳に入ってきてしまいます。
近くに人がいると落ち着かないという自分の性質もあって、周囲の会話が耳に入らないほどの集中力を発揮することはできません。
そこで、私のひとり美術館に欠かせないのがイヤホンです。
自分の好みで集めた音楽を聴きながら、自分の好きな作品をじっくりと鑑賞できる。このシチュエーションこそが私の求めるものである、ということに気づいたのはつい数年前でしたが、気づいてからは増々ひとり美術館が楽しくなりました。
自分の好きな作品のBGMが自分の好きな音楽だったら、そこはもう私の世界です!!
申し訳ないのですが作者の方の意向は全く無視です。
一年近く前にIZU PHOTO MUSEUMで観た小島一郎さんという写真家のBGMはニルヴァーナでした。津軽の厳しい冬の景色にニルヴァーナの激しく切ない楽曲はピッタリです。(と私は思っています)
…あっ、つい激しく個人的な趣味の話を文章にしてしまいました。
小島一郎さんの写真集は、いつでもcahoに置いてあります。ニルヴァーナのBGMも一緒に体感したい方は是非お声がけください。すぐに、ご用意いたします!!かなり、マニアックですけど…
脳って意外と…
最近、トリックアートが流行っていますね。
みなさんお好きですか?
トリックアートって、不思議ですよね。
仕組みが分かっていても、どうしてもそのようにしか見えないのです。
昔、心理学科の学生だったころ心理学実験という授業があって毎週毎週、実験→レポート→実験→レポートの繰り返しという恐ろしい時期を過ごした頃がありました。
20年位前の話なのでほとんどの内容は忘れてしまいましたが、その中に錯視実験も含まれていて、授業の中で教授が脳がいかに思い込みの激しいものであるか、ということを話してくれたと思います。
私たちの脳はほとんどが予測変換です。
例えば、茶色い丸い物体に鰹節と青のりとソースがかかっている絵の下に「〇〇焼き」と書かれていたら大概の日本人は「たこ焼きだ!」って思います。(本当はイカ焼きかも知れないのに)でも、日本の文化を知らない海外の方が見たら(日本語が読めたとして)「たこ焼きだ!」とも「イカ焼きだ!」とも判断できません。
これは、私たちが「たこ焼き」というものを過去に食べた経験があって、その経験をもとに予測して〇〇を判断したことを表します。
だからこそ「一を聞いて十を知る」ということも可能になりますし、学習したことをもとに新しい事をより早く理解することが出来るのです。
ところが脳は賢すぎるがゆえに、勘違いをしてしまいます。これが錯視。
同じ長さの直線の先端が矢印状になっているものと、Y字状になっているものが並んでいる有名な図を見たことがあると思います。
どうしてもY字の方が長く見えるのはトータルで見た時にY字のほうが長く、だったら、直線も少し長いのかも、と脳が勝手に判断してしまうためです。
そんな感じなので、私たちが日常の中で「真実」として捉えていることも、どこまでが「真実」でどこからが脳の作った世界なのか分かったものではありません。
身体についての認識も同じです。
脳の誤作動によって起こる痛みや、逆に疲れ知らずなどもあります。
自分が知っている自分がどこまで正しいかなんて、なかなか分かりません。なので、定期的に健診をしたり、セラピストに聞いてみるなどの方法で自分についての客観的な視点を持つ必要があるのかもしれませんね。
みなさんお好きですか?
トリックアートって、不思議ですよね。
仕組みが分かっていても、どうしてもそのようにしか見えないのです。
昔、心理学科の学生だったころ心理学実験という授業があって毎週毎週、実験→レポート→実験→レポートの繰り返しという恐ろしい時期を過ごした頃がありました。
20年位前の話なのでほとんどの内容は忘れてしまいましたが、その中に錯視実験も含まれていて、授業の中で教授が脳がいかに思い込みの激しいものであるか、ということを話してくれたと思います。
私たちの脳はほとんどが予測変換です。
例えば、茶色い丸い物体に鰹節と青のりとソースがかかっている絵の下に「〇〇焼き」と書かれていたら大概の日本人は「たこ焼きだ!」って思います。(本当はイカ焼きかも知れないのに)でも、日本の文化を知らない海外の方が見たら(日本語が読めたとして)「たこ焼きだ!」とも「イカ焼きだ!」とも判断できません。
これは、私たちが「たこ焼き」というものを過去に食べた経験があって、その経験をもとに予測して〇〇を判断したことを表します。
だからこそ「一を聞いて十を知る」ということも可能になりますし、学習したことをもとに新しい事をより早く理解することが出来るのです。
ところが脳は賢すぎるがゆえに、勘違いをしてしまいます。これが錯視。
同じ長さの直線の先端が矢印状になっているものと、Y字状になっているものが並んでいる有名な図を見たことがあると思います。
どうしてもY字の方が長く見えるのはトータルで見た時にY字のほうが長く、だったら、直線も少し長いのかも、と脳が勝手に判断してしまうためです。
そんな感じなので、私たちが日常の中で「真実」として捉えていることも、どこまでが「真実」でどこからが脳の作った世界なのか分かったものではありません。
身体についての認識も同じです。
脳の誤作動によって起こる痛みや、逆に疲れ知らずなどもあります。
自分が知っている自分がどこまで正しいかなんて、なかなか分かりません。なので、定期的に健診をしたり、セラピストに聞いてみるなどの方法で自分についての客観的な視点を持つ必要があるのかもしれませんね。
手放したい気持ち
みなさんには手放してしまいたい気持ちってありますか?
ある感情に囚われてしまって考えるのを止めたいのに気付くと考えてしまっていて、そのうちに「もう、考えるの止めなきゃ」という考えに囚われてしまって、いつまでたっても堂々巡り。
考えるのにもパワーが必要なので、それで結構疲れてしまうんですよね。
最近そんなことを考えていて自分で勝手に疲れはじめていたので、「もう止めよう!」と決意しました。
でもどうしていいか分からないので現代人らしく検索をしてみました。
すると結構いろいろ出てくるもので、それだけでも「なんだ、自分だけじゃないのね~」なんて少し安心したりします。
最初は、アロマを使ってみようと思ったのですが、あまりピンと来なかったので別の方法を…なんて調べていたら、とあるブログに出会いました。
ワタナベ薫さんという方の「美人になる方法」というブログで記事は2013年2月の「引き寄せの法則の敵 執着を手放したいと思う執着(笑)」という記事です。タイトルからして私が求めていた答えそのものです!
ブログの中で執着は「どこかで自分が果たされないかもしれない、という恐れや不安が伴うもの」ということが書かれていて私の場合まさにその通り!不安や心配が執着させていたと思います。
そして彼女は、執着していることに気づいたときに
「私ってば、執着しているぅ~。
あはははは~っ!」って(笑)
笑って認めてしまいましょう、とおっしゃっています。
はぁ~、目から鱗です。だって執着は良くないと思っていたのに、認めてしまえって…
でも、それを読んで何だかホットしている自分もいたのです。
もともと、不安や心配から始まっている執着なので、受け入れてあげるとその不安や心配たちの行き場が出来て安心してしまうのですね。
安心してしまうと、もう、執着する必要がなくなってしまうのでいつの間にか薄れて行ってしまう。そういう事のようです。
今まで、そういう風に考えたことはなかったので、ちょっとした衝撃でしたが、でも実際に笑ってみたら何だか気持ちが軽くなって今まで考えていたことが「さもない事」に思えました。
この方法がしっくりこない方は、ブログの中でもう一つの方法を紹介しているのでそちらで試してみると良いかもしれません。
私の中の「手放したい気持ち」という執着は、まだ存在していますが、この記事を読む前に比べれば少し小さくなった気がします。
もし、みなさんの中にも「手放したい気持ち」に悩まされている方がいたら、ぜひ、試してみてください!!
ちょっと面白いかもしれません。
ある感情に囚われてしまって考えるのを止めたいのに気付くと考えてしまっていて、そのうちに「もう、考えるの止めなきゃ」という考えに囚われてしまって、いつまでたっても堂々巡り。
考えるのにもパワーが必要なので、それで結構疲れてしまうんですよね。
最近そんなことを考えていて自分で勝手に疲れはじめていたので、「もう止めよう!」と決意しました。
でもどうしていいか分からないので現代人らしく検索をしてみました。
すると結構いろいろ出てくるもので、それだけでも「なんだ、自分だけじゃないのね~」なんて少し安心したりします。
最初は、アロマを使ってみようと思ったのですが、あまりピンと来なかったので別の方法を…なんて調べていたら、とあるブログに出会いました。
ワタナベ薫さんという方の「美人になる方法」というブログで記事は2013年2月の「引き寄せの法則の敵 執着を手放したいと思う執着(笑)」という記事です。タイトルからして私が求めていた答えそのものです!
ブログの中で執着は「どこかで自分が果たされないかもしれない、という恐れや不安が伴うもの」ということが書かれていて私の場合まさにその通り!不安や心配が執着させていたと思います。
そして彼女は、執着していることに気づいたときに
「私ってば、執着しているぅ~。
あはははは~っ!」って(笑)
笑って認めてしまいましょう、とおっしゃっています。
はぁ~、目から鱗です。だって執着は良くないと思っていたのに、認めてしまえって…
でも、それを読んで何だかホットしている自分もいたのです。
もともと、不安や心配から始まっている執着なので、受け入れてあげるとその不安や心配たちの行き場が出来て安心してしまうのですね。
安心してしまうと、もう、執着する必要がなくなってしまうのでいつの間にか薄れて行ってしまう。そういう事のようです。
今まで、そういう風に考えたことはなかったので、ちょっとした衝撃でしたが、でも実際に笑ってみたら何だか気持ちが軽くなって今まで考えていたことが「さもない事」に思えました。
この方法がしっくりこない方は、ブログの中でもう一つの方法を紹介しているのでそちらで試してみると良いかもしれません。
私の中の「手放したい気持ち」という執着は、まだ存在していますが、この記事を読む前に比べれば少し小さくなった気がします。
もし、みなさんの中にも「手放したい気持ち」に悩まされている方がいたら、ぜひ、試してみてください!!
ちょっと面白いかもしれません。
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