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ちょっとしたイタズラ心

かつて、自分が好きだった物やことを、覚えていますか?
働きはじめると学生の頃に好きだった事など思い出の中にすら留まっていない事もありますよね?

例えばほんの些細なことです。
虎の子のラーメンが好きだったとか、テレビの無い部屋でベッドサイドの電気だけ点けてお酒を飲みながら読書するのが好きだったとか、コーヒーはお気に入りの楓屋さんの豆を挽いて飲んでたなとか、そんなことです。

それがテレビの中のワンシーンを見て唐突に思い出されたりします。
今では、環境的に難しいことが多いので、心の引き出しにしまっているのですが、時々、顔をのぞかせるのです。
なんだか、寂しいような懐かしいような...。
もう戻れない、自分だけの世界をちょっとだけ取り戻したいなぁ、なんて思ってしまうのは春だからなのか、年のせいなのか.…。

そんな事って、皆さんにもありますか?

思い出に浸る方では全くない私ですが、物や事については意外と執着心が強いらしく、その事だけ、むしろ空気感のような私にしかわからない曖昧なものに執着しているのだと思います。
だから、本当はブログに書いたりするようなことでもないのですが、皆さんの心の引き出しの奥にしまってある忘れかけている好きなものを、少しでも刺激してみたいなぁ、というちょっとしたイタズラ心です(笑)

みなさんも、何か思い出しましたか?  


3月に入り、季節は春になりました。
皆さんは「春」好きですか?
私は春が好きかと聞かれたら「好きだけど怖い」と答えます。
寒いのが苦手なので、だんだん陽射しに力強さが出てくる早春はウキウキするのですが、なぜか春になると残念なことが起こるので毎年恐怖におびえます。(ちなみに今年は、車を擦りました…)

自然が春の気配を感じるにつれ小さな草の芽が出てきたり虫が飛ぶようになったりするように、人間の体も変化を起こします。
冬の間は、寒さに体が冷え切ってしまわないように脂肪を蓄え、寒い外に出た時は体に力を入れ反射的に筋肉運動をすることで身体を温めようとするので、全身が固くなってしまっています。
気温が上がり春を感じると人間の体も脂肪を蓄えるのは止めて、固くなった体を緩めはじめます。
そして、草木が芽吹くように人の体の活動も活発になるのです。

活発になるのはとても良いことですが、急に活発になると色々と問題が起きることがあります。
その一つが、花粉症。
花粉が体に入って来て、過剰に反応してしまうので様々な症状が出てしまいます。
それから、自律神経の乱れ。
寒暖の差が激しい春は、脳と身体と気候のバランスが取りにくく、自律神経を乱してしまう人も少なくありません。
春に自殺者が増える要因の一つとも考えられています。

花粉症や、自律神経の乱れに対する対策は度合いによっていろいろあると思います。
酷いようでしたら、病院を受診した方が良いと思いますが、そこまででなければ自分で何とか乗り越えたいですよね。
季節を問わず、心がけたいのが規則正しい生活と、バランスの良い食事です。
当たり前すぎて面白くないかも知れませんが、これがちゃんとできている人はやはり強いです。
多少、無理をしても立て直すのが早いです。
何でもそうだと思いますが、基礎の部分がしっかりしているとそう簡単には崩れなくなるものですね。

それから、軽い運動。
ゆる~い感じでジョギングとか、お家でゆったりヨガやストレッチをしてみるとか。
身体を動かすとなぜか暗い気持ちになれなくなります。
試しにスキップしてみてください!
わけもなく、ウキウキしちゃいますよ(笑)
ウキウキするって、大事です。
細胞が活発になるし脳の働きも良くなるので身体と脳の働きのバランスが乱れているときなどはピッタリです。

最後に、リラクゼーション。
意味合いは運動と同じような感じです。
ただ、リラクゼーションの場合は人に触れられる心地良さや安心感のようなものもあると思うので、年度末や年度初めの準備に追われて疲れ切ってしまっているときなどは、ちょうどよいかも知れません。

何かと体調を崩しやすい春なので、皆さまお体に気を付けてくださいね!
cahoでは、お客様に合った体調管理法などもアドバイスさせていただいております。
気になることがございましたら、お気軽にご相談ください!


  


塞翁が馬

「人間万事塞翁が馬」という故事成語が好きです。

人生において良い出来事なのか悪い出来事なのかは「今」だけを見ていては判断できず、悪いと思ったことが後々良いことになったり、その逆もあるので、あまり喜びすぎたり悲しみすぎたりしないこと。という感じでしょうか。

そのせいか、嬉しいことがあっても「こういう時は、浮かれすぎると良くないから気をつけなきゃ」なんて考えてしまい、つい喜びそびれてしまいます。そのかわり、悪いことがあっても「意外と良いことに変わってくれるかも」と考えることもできるので少し楽になれます。

時々、もっと素直に感情表現が出来たらいいのになぁ…と思うのですが、ものすごい勢いでブレーキがかかるのでできません。
私に最も向かない職業は、女優とダンサーだと思います(笑)

でも、セラピストとしては悪くないと思います。
自分の感情にお客様を巻き込まずに済むからです。
主役は常にお客様です。
自分に良いことがあったから、悪いことがあったから、と言って態度が変わってしまってはいけません。
個人としての自分と、セラピストとしての自分の間に線を引くには、塞翁が馬という考え方は、とても役に立つと思います。

思い起こせば、去年事故に合ったのはショックでしたが、おかげで車のグレードが少し上がってちょっと嬉しかったりもしました。
生きてると、何が良くて何が悪いのか分からないものですよね!  


新しい事をやってみる?

みなさんは、やりたかった事、やりたい事はありますか?

先日、ボディーボード歴が長いお客様のお話を伺っていて唐突に思い出したのですが、実はわたし、サーフィンにすごく憧れがあるんです。
自然を相手に常に変わる条件の中でやるスポーツって、カッコいいですよね。

そして、サーフィンに憧れていたことを思い出したら、他にもやりたかった事を思い出しました。
子供の頃はピアノです!!
諦めの良い子供だったので、親にダメと言われたら何でもすぐにあきらめていたと思うのですが、ピアノだけは未だにあの時もっと本気でお願いすればよかったと強く思っています。

というのも、その次にやりがたかった事がバンドだからです。
楽器が弾けるわけではなく歌が上手いわけでもないので、学生の頃どうしても軽音楽部に足を踏み入れることが出来ませんでした。

あ~、子供の頃にピアノさえ習っておけば…

そんな風に思って、諦めていました。
でも今にして思えば、とりあえず足を踏み入れてみればよかったのではないでしょうか?
その後のことは想像できませんが、入ってみたら何とかなったかもしれないのに...。

私の行動力は、ごく稀にもの凄い瞬発力を発揮することもありますが、往々にして0等しくボーっとしていることが多い気がします。
行動を起こす前にいろいろ考えすぎて疲れ果て、なんか大変そう、という結論を出して結局止めてしまうという、典型的な自己完結型です。

今の自分や環境を少しでも変えたいと思ったら、どこかを変えないと変わりませんよね。
ただ同じことの繰り返しを続けていては一生このままなんです。
今までと違うことをするのですから大変なのは当たり前で、でも大変の先にはきっと今より楽しい自分がいるはずです。

春が近づいてきたせいでしょうか、何だかやる気が出てきました!
何はともあれ、今はcahoが第一なのでcahoのために何か新しいことを始めようかなぁ...?

  


「淋しさ」について

寒いですねぇ…、寒いと寒いというだけでさみしくなりますよね。

最近、メディアで話題のニュースを見ていて、ふと思ったことなのですが…
”さみしい”って、人を蝕みますよね。
結婚している人を好きになってお付き合いしてしまったり、良くない薬を使ってしまったり...。
絶対ダメなことは分かっているはずなのに、そちらの方向に進んでしまうのは”さみしい”という感情のせいではないでしょうか?

ちなみに、「寂しい」の対義語は「賑やか」で、客観的な様子を表し、「淋しい」には対義語がなく、主観的な感情を表すことが多いらしいのですが、厳密な違いはないそうです。

例えば、地球の反対側にいたとして、その土地には知り合いなど一人もおらず旅行なり仕事なりをしていたとします。
でも、そんな時でも自分が最も信頼できる愛する人が反対側の土地にいて待っていてくれると思ったら、結構頑張れるのではないでしょうか?
逆に、自分にはもう誰も愛する人も信頼できる人もいないと思ったら、そこで頑張れるでしょうか?
前者は「寂しい」で後者は「淋しい」という事になると思いますが、同じ「さみしい」なのにこんなにもモチベーションに差が出てしまうのです。
やはり、自分以外の「誰か」の存在は大きいのでしょうか?

自分以外の誰かの存在は、自分の存在を肯定してくれます。
誰かが自分がいることを喜んでくれたり認めてくれると、自分という存在に価値が生まれるような気がします。
この世に自分一人しかいなかったとしたら、自分の存在が必要なものだとは思えないかも…。

だからこそ「淋しい」気持ちに囚われてしまうと、自分の価値を見出せなくなって自暴自棄になり、悪い方向だとわかっていても手っ取り早く自分の存在意義を感じられる方向に進んでしまたり、「淋しい」という気持ちに気づかないようにしてしまったりするのかもしれません。
話題の方々が実際に「淋し」かったかどうかは分かりませんが、そんな気がします。

「淋しい」という感情は誰にでもあるものだと思います。
ひとりの人の人生の中で、時に大きくなったり小さくなったりはするものの、無くなることはありません。
では、どのようにお付き合いすればよいのでしょうか?

ハッキリ言うと私にもよく分かりません。
理屈では「家族や友達など周りを見ればたくさんの人がいて、淋しいなんて気のせい」だという事も分かります。
でも、淋しい人ってそういうことじゃないんですよね、きっと。
だからと言って、誰にその穴埋めをお願いしたらよいのかも分からなくて、道を見失いよからぬ方向へ...。
という事なのでしょう。

結局のところ、自分にできた「淋しい」という穴を自分以外の誰かに埋めてもらおうということ自体がムシのいい話なのかもしれません。
自分の穴の形にピッタリ合う人を探しては、この人も違う、あの人も違う、とやっていては世の中違う人だらけになって「淋しい」が増えるばかりです。
そんな事より、問題のすり替えになってしまいますが「淋しい」はひとまず置いておいて、「楽しい」や「しあわせ」を増やせば、「淋しい」の存在が小さくなって、気にならなくなるんじゃないでしょうか?

あ、わたし今イイこと言いましたよね?
もう、「淋しい」のことなんて考えるのは止めて、もっと楽しく生きてみましょう!!
そうすれば、悪いとわかっている方向に進もうとは思わないでしょうし、人生が豊かになるはずです!!!
でも、どうしても淋しいときは「淋しいよー!」と誰かに言ってみてもいいかな?
きっと、みんな分かってくれますよ(#^^#)










  


たまにはゆっくりな方を選んでみる

先日、テレビを見ていたら膨大な写真データの中から良くとれているものを抽出してアルバムにしてくれるサービスのCMを見ました。
お子さんが小さいお宅などには、きっと便利なサービスですよね。

時代の変化なので良い悪いではないと思いますが、フィルムの写真だったころはフィルム代もバカにならないので、一枚一枚シャッターを切る時にちょっと緊張しました。
その分、今よりもう少し1枚の重みがあったような気がします。
いまは、フィルム代を気にしなくてよい分、奇跡的な1枚が取れたりすることもあります。

メールも無かったので、遠くに住んでいる友達には手紙を書いたりして、学生の頃はそうとう書いたと思います。
相手の手元に残るものなので、なるべく字も丁寧にとか封筒におまけを入れたりとか…
遠い場所だと、手紙が届くまでに数日、相手の手元に届いて相手が返事を出して自分のところに届くまでも数日かかるので、出した手紙の返事は1週間から10日くらいかかったと思います。
今では考えられないですよね。
でも、その間に自分で書いた手紙の内容をもう一度、咀嚼する時間もあったので返事が来る頃には自分の感情はだいぶ落ち着いていたと思います。なので、返事の内容もある程度は冷静に受け止められました。

メールやLINEだと、すぐに返事が来る安心感はありますが、そのかわりに頭を冷やす時間もないので、誤解が生まれやすい側面もあるのではないでしょうか?
自分が発信した言葉がどの程度、相手に伝わっているか、逆に自分の受け止め方は本当に正しいのか、考える暇もないくらいのスピードでやり取りが交わされます。(わたしは、そのスピード感についていけないのでLINEが出来ません)
自分の発信した言葉や受け止め方の重さも、少し軽くなったかな?と思います。

フィルム写真にしろ手紙にしろ、不便なことが沢山あったから今のスタイルに発展したのだと思うので、今のスタイルが悪いわけでは決してないと思います。
ただ、それに慣れてしまって大切なことや気を付けなければいけないことを忘れてしまうのは、もったいない気がします。

今この瞬間を撮りたい!と強く思って撮った写真にはきっと想いが詰まっていると思うし、1週間待って来た手紙の返事はすごく嬉しくて、愛おしいものです。

スピードも大切だけど、たまには敢えてゆっくりの方を選んでみるのもいいかな?なんて思うのは年のせいでしょうか?(笑)

  


2016年のテーマは「整」

2016年になってから2週間もたってしまいました...。
みなさま、本年もよろしくお願いいたします。

さて、年頭に「今年はどんな1年にしようか」と考えを巡らせる方も少なくないと思います。
わたしも考えるようにしているのですが、今年は何故か全く決まらず。
よく考えてみると、昨年の12月から、いや11月かも知れませんが、やることに追われ、追われすぎて何をしたらよいのか分からなくなり頭の中が収拾がつかない状態になっていたのです。

そして、そのまま年が明けてしまいました。
実際、まだ頭の中は混乱気味でそのおかげで「今年はどんな1年にしようか」などと考えても、全く決まらないという事態になってしまったのだと思います。

そこで、この際なので、いっそ今年のテーマは「整」にしてしまえば良いのではないかと考えた次第です。
メインエリアは頭の中とデスクの上。そして、cahoのあり方についてもこの1年でさらに整えていきたいと思います。
仕訳がとても苦手な私のデスクと頭の中はいつも混沌としています。
これでは、自分自身が気持ちよく仕事も生活もできません。

方法は、書き出す!!

いろいろな方にお話を伺うと「とにかく書き出してみて頭の中を整理します」とおっしゃる方が多かったのです。
思い起こせば私も学生の頃、落書き帳という名前の誰にも見せないノートを作っており、思ったことをただただ書き出す、という事をしていたような気がします。
ストレス解消にもなりますし、自分が何を考えているのか確認することもできます。
自分が何を考え、どうしたいのかが分かれば次の行動が決まってくるので、デスクの上も片付いてくるんじゃないかなぁ~、と淡い期待を寄せているところです。

さてさて、2016年はちゃんと整った1年になるのでしょうか?
まずは頭の中から、頑張ります!!
  


信じるという事

1ヵ月ぶりの投稿となってしまいました。
スミマセン…
1ヵ月の間どうしていたかというと、1周年記念キャンペーンで忙しくさせていただいておりました。
ありがとうございました!!

そしてその間、解決しない別の問題にずーっと心がモヤモヤしていました。(今もまだ解決はしていませんが…)
モヤモヤしているだけでは心にも身体にも良くないので、きっとよくあることだと思うのでブログに書いてみることにしました。

皆さんは、信じていた誰かが実は自分が思ていたような人ではなかったことってありますか?
きっと、誰でも一度ならず経験することなのではないかと思います。
私のモヤモヤもそんな感じです。

むかし学生の頃の先輩に「誰かを信じるという事は、その人を信じると決めた自分を信じるという事だよ」と言われて衝撃を受けたことがあります。
それ以来、私は誰かを信じようと思う時は必ずその言葉を思い出して「何があっても自分の責任」と言い聞かせることにしています。
なので、その人が自分が思ていたような人でなかったとしても、その人のせいではありません。きっと、もともとそういう人だったのに私が気づけなかっただけなのです。

ただ残念なのは、私がその人に伝えたかったことは殆ど伝わっていなかったという事です。
もしかすると、私がその人を信じているという事すらも、その人には伝わっていなかったかも…
自分が思っていたようなその人でなくしてしまったのは、私のせいかもしれません。

一番大切なことを伝えず、どうしたいか、とか、どう考えているかばかり言ってしまっていました。
私がその人を大事に思っていて、これからもずっと信頼し合える関係でい続けたいと思っている、という事を私はどれくらい伝えたでしょうか?
きっと、そこについては殆ど伝えていなかったと思います。
それでは、相手も私のことをどこまで信じていいのか分かりませんよね。

誰かを信じるという事は相手にも信じてもらえないと成立しなことで、そのためには、自分自身が信じてもらえるような人でなければいけません。
「誰かを信じるという事は、その人を信じると決めた自分を信じるという事」その通りでした。
もっと自分自身が信頼に値する人間でなければいけなかったのです。

これからは、大切な人には「大切」と伝えるようにします...。


  


自分の存在価値

先日1周年を迎え、お客様とのつながりも日に日に深まっていることを実感する毎日ですが、最近特に考えるのが自分の存在価値についてです。

自分と言っても私自身という意味ではなく、お客様ご自身という意味です。
セラピストというお仕事は、お客様のお身体を癒すことはもちろん、時には心のお疲れにも触れることがあります。

いろいろなお客様の日々のお疲れを伺っていると、表面には出さないけどすごく辛かったり、どうしていいか分からなかったり、にっちもさっちもいかなかったり、とにかく一日一日を乗り切るので精いっぱいなんです。

そして、頑張っている皆さんがその中で自分の存在価値を見失っていることが多いと感じています。

会社や家族のために頑張っていて、でもちょっと疲れてしまった時についイライラをぶつけてしまったりすることってありますよね。
そんな時、ぶつけられた方はつい距離を置いてしまいがちです。
だって「どうしたの?」なんて聞こうものなら更に怒られそうですし...。
私自身もそういう経験、たくさんあります。

そういう事になった時、いつもどうしたらいいんだろう?と考えるのですが良い答えはなかなか見つかりません。

お客様のお話を聞いていると、誰かのために何かすること自体が苦痛なわけではないのです。誰かのためにしているのに、感謝されるでもなくその行為自体、意識もされていないと感じた時「自分はいったい何のためにここにいて、何をやっているのだろう?」と、自分の存在価値を感じなくなってしまうのです。
やってもらっている方は感謝していないわけではないのですが、その気持ちを言葉や行動で表せないまま甘えてしまっています。

その辺りの、感情の行き違いが孤独感やイライラにつながっているのだろうと思います。
解消するのは、どちらかの努力だけでは難しいような気がします。

まずは、一人一人が感謝し合うところから始めるというのはどうでしょうか?
感謝する=必要とする
感謝される=必要とされる
だと思うんです。

つまり感謝し合うという事は、お互いに必要としあうという事です。
その人が自分にとってなくてはならない存在であり、自分もまたその人にとって、なくてはならない存在であるという事を認識できれば、もっとお互いを大切にできるのではないかと思います。そして、そこにこそ自分の存在価値があるのではないでしょうか?

かくいう私も、家では家族に甘えてばかりで全く感謝の気持ちを表していないと、今、猛烈に反省しております。

家族も、友達も、お客様も、自分を取り巻く全ての方々のおかげで今の自分があることを忘れずに、日々感謝しなければいけないと肝に銘じて生きなければいけませんね(^-^;


  


自分の疲れに気づけない

先日ある方から「限界になって病院にかかるまで、自分の疲れに気づけないんです」というお話を伺ました。

私なんて、すぐに疲れてしまって投げ出したくなってしまう方なので、そういう方は精神力が強いのかなぁ、なんて漠然と思ってしまったのですが動物として考えた場合、病院にかかる=命が危険、という事になるので、命が危険にさらされるまで自分の状態に気づけないのは、やはり問題ありだと思います。

そのお話を伺ってから自分なりに「身体は脳に対して危険信号を発しているはずなのに、それに気づけない」というのはどういう事なのか、考えてみました。

脳は本人にとって都合の良いように働きやすいものです。なので、気づかない方が都合がいい理由があるのではないでしょうか?
例えば、仕事がものすごく忙しくて疲れていることに気づいて休んでいる場合ではない、とか、休むことを怠けることのように思っているとか、周囲から頼りにされているので、休みたいなどと言って期待を裏切りたくないとか...。

このような理由が、身体からのサインに蓋をしてしまい、本人には見えないようにしてしまっているのだと思います。
そして問題は、疲れに気づけない事ではなく、疲れに蓋をしてしまう理由の方なのではないでしょうか?
その理由は、自分を生命の危険にさらしてまでも守らなければいけないものなのでしょうか?
自分の命よりも大切なものなんて無いと思うのです。

大切な家族や会社のために毎日頑張っている方、たくさんいらっしゃると思います。
でも実は、家族も会社もその方のことを大切に思っているのです。
家族や会社のためだから自分を犠牲にしても頑張り続けるというのは、自分を大切に思ってくれている人たちへの裏切ではないでしょうか?
誰でも周囲の人たちに、心も身体も健康でいてほしいと思っています。
お互いに相手を大切に思っているからこそ、その人たちに心配をかけないよう、疲れた時は休んで元気でいることが相手への思いやりだと思います。

なので、自分が今抱えている仕事量と、自分が取っている休息のバランスを一度、改めて考えてみてください。
もし、休息の方が少ないと思ったら、堂々と気持ちよく「休みたい!」と言ってみてください!!
だって、それが周りの人たちの為なんですから(^^)

  


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2014年11月7日伊豆の国市田京にオープン。
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