「淋しさ」について
寒いですねぇ…、寒いと寒いというだけでさみしくなりますよね。
最近、メディアで話題のニュースを見ていて、ふと思ったことなのですが…
”さみしい”って、人を蝕みますよね。
結婚している人を好きになってお付き合いしてしまったり、良くない薬を使ってしまったり...。
絶対ダメなことは分かっているはずなのに、そちらの方向に進んでしまうのは”さみしい”という感情のせいではないでしょうか?
ちなみに、「寂しい」の対義語は「賑やか」で、客観的な様子を表し、「淋しい」には対義語がなく、主観的な感情を表すことが多いらしいのですが、厳密な違いはないそうです。
例えば、地球の反対側にいたとして、その土地には知り合いなど一人もおらず旅行なり仕事なりをしていたとします。
でも、そんな時でも自分が最も信頼できる愛する人が反対側の土地にいて待っていてくれると思ったら、結構頑張れるのではないでしょうか?
逆に、自分にはもう誰も愛する人も信頼できる人もいないと思ったら、そこで頑張れるでしょうか?
前者は「寂しい」で後者は「淋しい」という事になると思いますが、同じ「さみしい」なのにこんなにもモチベーションに差が出てしまうのです。
やはり、自分以外の「誰か」の存在は大きいのでしょうか?
自分以外の誰かの存在は、自分の存在を肯定してくれます。
誰かが自分がいることを喜んでくれたり認めてくれると、自分という存在に価値が生まれるような気がします。
この世に自分一人しかいなかったとしたら、自分の存在が必要なものだとは思えないかも…。
だからこそ「淋しい」気持ちに囚われてしまうと、自分の価値を見出せなくなって自暴自棄になり、悪い方向だとわかっていても手っ取り早く自分の存在意義を感じられる方向に進んでしまたり、「淋しい」という気持ちに気づかないようにしてしまったりするのかもしれません。
話題の方々が実際に「淋し」かったかどうかは分かりませんが、そんな気がします。
「淋しい」という感情は誰にでもあるものだと思います。
ひとりの人の人生の中で、時に大きくなったり小さくなったりはするものの、無くなることはありません。
では、どのようにお付き合いすればよいのでしょうか?
ハッキリ言うと私にもよく分かりません。
理屈では「家族や友達など周りを見ればたくさんの人がいて、淋しいなんて気のせい」だという事も分かります。
でも、淋しい人ってそういうことじゃないんですよね、きっと。
だからと言って、誰にその穴埋めをお願いしたらよいのかも分からなくて、道を見失いよからぬ方向へ...。
という事なのでしょう。
結局のところ、自分にできた「淋しい」という穴を自分以外の誰かに埋めてもらおうということ自体がムシのいい話なのかもしれません。
自分の穴の形にピッタリ合う人を探しては、この人も違う、あの人も違う、とやっていては世の中違う人だらけになって「淋しい」が増えるばかりです。
そんな事より、問題のすり替えになってしまいますが「淋しい」はひとまず置いておいて、「楽しい」や「しあわせ」を増やせば、「淋しい」の存在が小さくなって、気にならなくなるんじゃないでしょうか?
あ、わたし今イイこと言いましたよね?
もう、「淋しい」のことなんて考えるのは止めて、もっと楽しく生きてみましょう!!
そうすれば、悪いとわかっている方向に進もうとは思わないでしょうし、人生が豊かになるはずです!!!
でも、どうしても淋しいときは「淋しいよー!」と誰かに言ってみてもいいかな?
きっと、みんな分かってくれますよ(#^^#)
最近、メディアで話題のニュースを見ていて、ふと思ったことなのですが…
”さみしい”って、人を蝕みますよね。
結婚している人を好きになってお付き合いしてしまったり、良くない薬を使ってしまったり...。
絶対ダメなことは分かっているはずなのに、そちらの方向に進んでしまうのは”さみしい”という感情のせいではないでしょうか?
ちなみに、「寂しい」の対義語は「賑やか」で、客観的な様子を表し、「淋しい」には対義語がなく、主観的な感情を表すことが多いらしいのですが、厳密な違いはないそうです。
例えば、地球の反対側にいたとして、その土地には知り合いなど一人もおらず旅行なり仕事なりをしていたとします。
でも、そんな時でも自分が最も信頼できる愛する人が反対側の土地にいて待っていてくれると思ったら、結構頑張れるのではないでしょうか?
逆に、自分にはもう誰も愛する人も信頼できる人もいないと思ったら、そこで頑張れるでしょうか?
前者は「寂しい」で後者は「淋しい」という事になると思いますが、同じ「さみしい」なのにこんなにもモチベーションに差が出てしまうのです。
やはり、自分以外の「誰か」の存在は大きいのでしょうか?
自分以外の誰かの存在は、自分の存在を肯定してくれます。
誰かが自分がいることを喜んでくれたり認めてくれると、自分という存在に価値が生まれるような気がします。
この世に自分一人しかいなかったとしたら、自分の存在が必要なものだとは思えないかも…。
だからこそ「淋しい」気持ちに囚われてしまうと、自分の価値を見出せなくなって自暴自棄になり、悪い方向だとわかっていても手っ取り早く自分の存在意義を感じられる方向に進んでしまたり、「淋しい」という気持ちに気づかないようにしてしまったりするのかもしれません。
話題の方々が実際に「淋し」かったかどうかは分かりませんが、そんな気がします。
「淋しい」という感情は誰にでもあるものだと思います。
ひとりの人の人生の中で、時に大きくなったり小さくなったりはするものの、無くなることはありません。
では、どのようにお付き合いすればよいのでしょうか?
ハッキリ言うと私にもよく分かりません。
理屈では「家族や友達など周りを見ればたくさんの人がいて、淋しいなんて気のせい」だという事も分かります。
でも、淋しい人ってそういうことじゃないんですよね、きっと。
だからと言って、誰にその穴埋めをお願いしたらよいのかも分からなくて、道を見失いよからぬ方向へ...。
という事なのでしょう。
結局のところ、自分にできた「淋しい」という穴を自分以外の誰かに埋めてもらおうということ自体がムシのいい話なのかもしれません。
自分の穴の形にピッタリ合う人を探しては、この人も違う、あの人も違う、とやっていては世の中違う人だらけになって「淋しい」が増えるばかりです。
そんな事より、問題のすり替えになってしまいますが「淋しい」はひとまず置いておいて、「楽しい」や「しあわせ」を増やせば、「淋しい」の存在が小さくなって、気にならなくなるんじゃないでしょうか?
あ、わたし今イイこと言いましたよね?
もう、「淋しい」のことなんて考えるのは止めて、もっと楽しく生きてみましょう!!
そうすれば、悪いとわかっている方向に進もうとは思わないでしょうし、人生が豊かになるはずです!!!
でも、どうしても淋しいときは「淋しいよー!」と誰かに言ってみてもいいかな?
きっと、みんな分かってくれますよ(#^^#)
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